寄稿「ふうせんバレーを見てきました」

ふうせんバレーの練習会に参加してくださった大手新聞社の記者さんが、こんな記事を寄稿して下さいました。

 

 

「ふうせんバレーを見てきましたの記(20100826 柏崎幸三)」

 

ピンク色の丸い風船が宙を舞っていた―。

こう表現すると、風船が大空を飛んでいるように思われるかもしれませんが、そうではない。

体育館の中で、ふうせんが試合の公式球として使われていた。

風船は、ときに速く、ときにゆったりとコートの上を舞い、選手たちはみな楽しそうに風船を追っていた。

 

ここは、東京都北区の東京都障害者総合スポーツセンター。

大きな体育館の半分にバドミントンコートを2面つくり、その中で、車いすの利用者、半身不随の人、その中で健常者が身障者を助ける。

東京ふうせんバレーボール振興委員会がふうせんバレーの振興のため、同センターで定期的に行っている。

この日は、振興会の厨川一仁(くりやがわ・かずひと)さん、事務局長の橋本大佑さんが、ふうせんバレーの仕方を伝授しながら、橋本さんのホイッスルで試合が始まった。

 

 

この日は、東京新聞の報道でふうせんバレーボールを知ったという成蹊中学校の女子バレーボール部員が参加。

障害者、健常者6~7人がともにコートに入り、風船を追い始める。「行ったぞー」「頼むよー」。選手たちは、互いに声を掛け合い、助け合ってピンクの風船を追う。

ほとんどの人が初心者に近かったが、すぐに慣れて試合は順調にスタート。

成蹊中学校のバレーボール部員は、風船とふつうのバレーボールとの違いに戸惑いながらも、一緒になって風船を追っていた。

 

 

「障害者も健常者も互いに声を掛け合い、助け合って全員が必ずプレーに参加する、すばらしいスポーツですよ」。

こう、試合球を製造するマルサ斉藤ゴムの斉藤靖之さんに教えられたふうせんバレーボールだが、私自身、内心感謝した。

ふうせんバレーはすばらしいと思ったからだ。ほんの10㌘程度の風船を膨らませただけだが、この中に、たくさんの幸せが詰まっているように思えたからだ。

 

選手の一人、豊島区から来た主婦(63)は、

「去年の8月から始めました。5回以上やっていますが、ちっともうまくならない。

でも楽しいんです。全国大会などに出場するというのではなく、ここに来て楽しみたい」と汗を拭いながら笑った。

文京区から来た山崎真理さん(41)は、両足が不自由で車いすに乗っているが、スペインで開かれた身障者のバドミントン世界選手権で3位になったこともあるアスリートだ。

国体のフライングディスクにも出場し、車いすの砲丸投げでは、4㍍を飛ばす。

山崎さんは、「これまでは個人競技のスポーツをやってきた。だが、このふうせんバレーは団体競技。チームでいかに長く続けられるかが大切。

助け合い、風船を拾い合う。とってもいいですね」と話していた。

 

飲みすぎで53歳、61歳のときに脳出血で倒れたという男性(63)は、半身が不自由ながらも「リハビリにいいんですよ」と話した。

 

 

成蹊中学校の女子バレーボールチームの野田葉月さん(15)は、

「もっとフワッとしていると思いましたが、いつもの球と感覚が違い、難しかった」、

「風船はコンとロールしにくいなあ」(渡辺あんずさん)、

「意外とむずかしい。全員でまわすというルールがいいですね」(福村美月さん)、

「ふつうのバレーボールのようには思ったように飛んでいかない。どこに飛んでいくのかわからなかった」(井上里伽子さん)など、みんなで楽しんだ。
顧問の古川和佳子さんは

「きょうは、バレーにはいろいろな種類があるということで来ましたが、部員には、いい社会勉強になったことと思います」と話していた。

このふうせんバレーに使用する試合球は、ふんわり飛ぶものとばかり思っていたら、そんなことはなく、結構早いのだ。シュッという感じといえばいいのでしょうか。